ラバネロから除籍

上手く書けなくて何回も下書きしては没にしてきましたが、
2012シーズンをもってパールイズミ・スミタ・ラバネロから
除籍したことを報告いたします。


2011シーズンに移籍を受け入れていただいてから、たった
2年で成績も残せずに除籍となることは、大変恐縮に思います。
高村監督ご夫妻、チームメイト、スポンサー様やサポートして
いただいた皆様には、成績で恩返しすることが出来ずに、大変
申し訳ありません。

2011.3.11の東日本大震災とその後の仕事の状況悪化により、
自転車に割ける精神力を消耗し切ってしまいました。
まぁ、言い訳ですけど。


2010の成績と2011に向けた遠征環境及びロードレースでの
成績向上を目指して、2010輪島の際に高村監督に希望を伝え、
走りを見ていただいた上で、移籍を受け入れていただきました。
(仙台での練習仲間「くぼっち」の橋渡しが大きかったです。)
移籍時の気持ちとしては、「5年間は国内トップカテゴリJPTで
トップクラスの成績を維持し、その後もラバネロに骨を埋める」
つもりでした。
2011シーズン、特に岩手県八幡平市開催の全日本に向けて、
強いディターミネイション(断固たる決意)を持ってオフ
トレに取り組みました。
得意の登坂力に磨きをかけ、弱点だったスピードとスタミナ
を克服し、3月頭のラバネロ鴨川合宿に参加して、いよいよ
シーズンインと言う3.11に震災を受けました。

内陸に住んでいるため、津波被害を受けることはありません
でしたが、業務内容上、職場に缶詰になって過ごしました。
缶詰から解放されてからも残業残業の日々でしたが、深夜の
無理な乗り込みによる促成栽培によって、オフトレ時の貯金
を掘り起こして、辛うじて国際ステージレース(UCI2.2)の
ツール・ド・北海道を完走するところまで戻すことができ
ました。

しかし、その後に職場の配置換えによって仕事のストレスが
多くなり、2012に向けたオフトレから上手く集中できずに、
5月の連休には部屋でグダグダしていて一度も練習しないと
言う無責任な状況…。
レース活動は、7/15(日)福島石川ロードDNF以降参戦せず…。
スポンサー様やチームへの責任は感じていたのですが、仕事
のストレスに負けました。


自分は「ただ走るだけで楽しい」と言う根っからの自転車
好きとは異なり、自分が強くなれるから自転車競技に取り
組んでいるので、一度弱体化してしまうと、歯止めが効き
ませんでした。

このまま自転車を辞めてしまうことも考えましたが、何と
なく不完全燃焼なので、2013シーズンについては、一応、
実業団登録を行います。
カテゴリ等については、JBCF登録期限の頃の練習状況から
最終的に判断します。
(12月1日のJBCF総会にて2013ガイドブックが発表かな?)


パールイズミ・スミタ・ラバネロの高村監督ご夫妻、チーム
メイト、スポンサー様、サポートいただいた皆様、2年間と
短い間でしたが、ありがとうございました。
練習及びレース仲間の皆様、今後ともよろしくお願いします。